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許し難い

  • もの
  • 2022年2月9日
  • 読了時間: 2分

 性的情動と忌避感が伴う、無力感と常に生じる自己否定が生じるとそれがない周囲との差異が生じ、それによって周囲となじむこと、周囲からすれば理解し難い存在に排斥が生じます。そしてその差異は外見上はわからず、会話も成立し、自発的に誰かに言うことも困難であるため、だれにも理解されません。

 誰にも理解されず、孤独に排斥を受け続け、私はその排斥を与えてくる周囲を憎むようになりました。今、現在も憎いです。その憎しみは端的に言って、その相手を排除したいという分類のものです。

 その憎しみをもってしまいる私からは元あった倫理観が削れていっています。相手の排除への倫理観による呵責が生じない精神性になっていることを感じます。

 それでも排除してしまえば待っているのは最悪な公的機関、世間からの責め苦の未来のみ、であるからこそ耐えますが、その忍耐にも限界があります。はじけてしまえばそれで私はおしまいです。この二十何年間、そんな自己否定と病的精神性、心境で、なんとか幸福であろうと生きてきましたが、もういい加減はじけてしまいそうです。

 私と同じ精神性をもたず、周囲からの排斥を受けてこなかった者、その精神から私のような精神が排斥を受けるということでどのような感情、憎しみが生じるか、理解できる方は多くはないでしょう。

 はじけて、この生がおしまいとなってしまうことを周囲に理解もされません。そしてそんな状況をもう受け入れてしまって、耐えきってしまえる私がいます。何なのでしょうかこの控えめに言って汚物のような生は。私にはその生を作り出す排斥を行う他は憎む存在であり、排除したくなる許し難い存在です。

 
 
 

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